北海道のへそ
富良野は北海道のど真ん中。バブル景気の頃は超人気のエリアだった。夏はラベンダーや畑を見てメロンを食べて、冬はスキー場で遊び、鍋を食べていた。北の国からのロケ地巡りにも来たかな?
それから30年以上経ってもラベンダーの人気は変わらない様だ。今回は台湾からのお客様のリクエストで訪れることになった。噂では観光客の半分以上は外国人ということなのだが、果たして!
札幌から車で約2時間
札幌市街から高速道路の道央道を使って三笠インターへ、そこから三笠の街中を道々116号を抜けて、そして三段の滝のある国道452号、途中道々135号で右折をして国道38号にでて富良野市街に入る、おおよそ2時間の道のり。スケジュールの都合で途中の休憩は一切なしなので、写真もありませんが、三段の滝はとてもきれいだった記憶があるので是非立ち寄ることを勧めたい。
ラベンダーと花畑
6月下旬から7月上旬はラベンダーとしては早咲きしか見ることが出来ない、インターネットでは現在の状況を詳しく入手することは出来なかったので、咲いていることを願うしかない。ファーム富田はラベンダーのほかに多くの花を植えているので、花畑を見るということでは成立する。しかし主役はあくまでラベンダー。(7月8日にファーム富田のWebサイトをチェックしたら現在の状況が写真付きで紹介されていました)
農業としてのラベンダー畑
ラベンダーの栽培の日本の歴史は戦前からで、化粧品の原料としてフランスよりラベンダーの種5kgを手に入れて実験が始まった。戦後になり富良野でも栽培が始まり、1970年には生産量のピークをむかえ北海道での栽培の殆どは富良野で230haもあった。しかし、その繁栄は長くは続かなかった。自由貿易が始まりさらに技術の進化で原材料の調達が容易になり香料会社の買取が1973年にはなくなってしまった。
多くの農家は生産を中止するしかなかったのだが、転機が訪れた。1976年、当時の国鉄(JR)がカレンダーで全国にラベンダー畑が紹介され、その風景に魅了され観光客が徐々に増え始めた。そこから、観光の事業に試行錯誤して1980年には独自に蒸留を始め、ラベンダーオイルの抽出に成功、さらに数年後には日本で唯一、ラベンダーからエッセンシャルオイルを抽出するための蒸留工場を作った。
雄大な北海道の自然環境と人々の生活の苦労とアイデアで
その価値は、南フランスのラベンダー生産者組織から、ラベンダー栽培の功労者に贈られる称号「オートプロヴァンス・ラベンダー修道騎士」が授与されているほど。自分が知る(ブーム)前よりも、そしてその30年後も富良野のラベンダーは日本人はもとより海外の人々も魅了し続けていたのだ。
今回はファーム富田しか見ることができなかったが、それでも車で2時間も掛けて来る理由は十分に充していた。訪れた多くの人達の顔は笑顔に溢れて、この時間を共有することに幸せを感じていたようだ。この辺りの自然は北海道の中でも厳しいが、それを人間が絡むことでアートに変えそして生活に無くてはならないものを生産し、そして時には想像以上のモノを作り上げ提供している。
北海道と富良野という言葉は世界に通じるブランドになっている。
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